6.主題講演


「今、平和とは――伊江島からの音景」


榎本 空
プロフィール
沖縄県伊江島における戦争、土地闘争の歴史と現在について研究している。著書に『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)、訳書にジェイムズ・H・コーン『誰にも言わないと言ったけれど』(新教出版社)、サイディヤ・ハートマン『母を失うこと――大西洋奴隷航路をたどる旅』(晶文社)。現在、岩波書店『世界』で「島に帰る」連載中。

 沖縄県北部に浮かぶ離島である伊江島は、沖縄の縮図であるとも言われることがあります。先の大戦の際には、「東洋一」の飛行場が建設され、米軍の攻撃の標的とされました。当時島に残っていた四千名の住民のうち、その半数が亡くなったとされる地上戦は惨憺なものでした。その後、生き残った人々は慶良間諸島や今帰仁へと移され、収容所生活を送ることになります。二年後、人々の帰島が許され、ようやく伊江島の戦後が始まります。遺骨収集が最初の仕事だったと言います。もっとも、そんな「平和」は長くは続かず、朝鮮戦争や冷戦という植民者が作り出した時代の激流に、この小さな島は呑み込まれていくことになります。
 伊江島の土地が最初に接収されたのは、1953年のことでした。それから1955年3月、いわゆる「銃剣とブルドーザー」として知られている真謝地区の土地の強制接収が行われます。土地を失った真謝の農民はもはや生活を続けていくことができず、奪われた土地を取り戻すために立ち上がります。伊江島の闘いはしばしば非暴力の闘いと呼ばれますが、ある学者が述べたように、それは「暴力以外のあらゆる手段」を用いた闘いでした。琉球政府前での座り込み、権力者への陳情、沖縄本島全土を練り歩いた乞食行進、接収地内へ立ち入っての強制耕作、フェンスを切り取ってスクラップとして売ること、歌うこと、話し合うこと、あらゆることが土地を取り戻すための手段となりました。
 同時に、伊江島の土地闘争には霊的な次元がありました。陳情規定という農民の抵抗運動の指針となった規定があります。

陳情規定
・反米的にならないこと
・怒ったり悪口を言わないこと
・必要なこと以外はみだりに米軍にしゃべらないこと。正しい行動をとること
 嘘偽りは絶対語らないこと
・会談のときは必ず座ること 集合し米軍に対応するときは、モッコ、鎌、棒切れ
 その他を手に持たないこと
・耳より上に手を上げないこと
・大きな声を出さず、静かに話すこと
・人道、道徳、宗教の精神と態度で接衝し、布令・布告など誤った法規にとらわれず、
 道理を通して訴えること
・軍を恐れてはならない
・人間性においては、生産者であるわれわれ農⺠の方が軍人に優っている自覚を堅持し、
 破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること

 農民の人々が、肉体的な次元だけではなく、精神的、霊的な次元をも指針として、運動を形作っていったことがよく伝わる文章です。
 伊江島の闘いは明確なリーダーをあえて立てなかった闘いでしたが、それでもこのユニークな闘いには、沖縄のガンジーとも呼ばれる阿波根昌鴻さんの存在が欠かせませんでした。彼はクリスチャンの農民で、若い頃、ペルーやキューバに出稼ぎにいったあと、沼津の興農学園で学ばれています。伊江島にもデンマーク式の農民学校を作るというのが長年の夢で、しかしそのために買い集めた土地が米軍に接収され、夢叶わぬまま現在に至っています。
 阿波根さんは、米軍との交渉の際に、よく聖書の話を持ち出しました。米軍がクリスチャンであることを知って、聖書にはこう書いてあるではないか、というわけです。詳しいことは彼が書いた『米軍と農民』(岩波新書)をぜひ読んでいただきたいですが、阿波根さんはそのように常に人間の良心に訴えかけることを、運動の規範としました。この本を読まれた伊藤邦幸先生は、「確かに聖書が、このように現実的な力でありえた例は、戦後においては伊江島が第一であったろう。又私は、真理とか道とかいう言葉が、伊江島ほど生命力と輝きと力を帯びて語られた例を知らない」(『無垢の心をこがれ求める――伊藤邦幸・聡美記念文集――』232頁)と書いておられます。伊藤先生の慧眼に驚くとともに、本当にそうだなと同意するばかりです。
 阿波根昌鴻さんは真謝の土地闘争が収束していった後、わびあいの里を設立し、そこで反戦平和運動を続けました。わびあいの里には反戦平和資料館という、阿波根さんが私設した資料館がありますが、そこの壁にはこう書かれています。「すべて剣をとるものは剣にて亡ぶ(聖書) 基地をもつ国は基地で亡び 核をもつ国は核で亡ぶ(歴史)」。
 このように聖書を読みたいなと思います。こんなにも聖書の言葉には力があるのかと。聖書の言葉を、聖書の言葉として終わらせない。二千年前の言葉として終わらせない。それを今ここで引き取っていく。聖書の言葉は、危機の言葉だと思います。イエスの十字架、バビロン捕囚、エジプトでの奴隷生活。ある人々の危機があって、そこから掴み取られた言葉であると思う。それを読むわたしたちにも、やはりわたしたちのカタストロフがある。誰かの命がないがしろにされるという現実がある。沖縄もしかり、パレスチナもしかり、アメリカの黒人もしかり。さまざまなカタストロフが同時進行していて、もちろん私たちはその全てに同じようにかかわることはできませんが、その中で無関係なものは何一つないと思います。例えば私には伊江島という場があって、しかしその地の歴史、そこにうごめく死者たちに手を伸ばそうとすると、やはりそこには土地を奪われた人たちの歴史、命を奪われた人たちの歴史がある。カタストロフの歴史はつながっている。そして私はキリスト者として、そこにイエスの歴史を重ねてしまうわけです。
 先の阿波根昌鴻さんの言葉を読むたびに、私が思い出す言葉があります。アメリカの黒人作家、ジェイムズ・ボールドウィンという人の言葉です。こういうものです。

 「もし我々が、つまり、お互いに恋人同士のようになって、(中略)ためらわずにその義務を果たすならば、たとえ我々の数は少なくとも、人種問題の悪夢を終わらせ、我々の国を立派にし、世界の歴史を変えることができるかもしれない。もし、今、我々にそうしたあらゆることをする勇気がなければ、ある奴隷が聖書の中から書き直して歌にうたったあの予言が、我々の上に実現されることになるのだ。神様はノアに虹のしるしを与えたもうた。もう、水は終わった。次は火だ!」

 『次は火だ』という本からの一節です。公民権運動最中、1963年に出された本です。その後、キング牧師が「私には夢がある」と語り、公民権法、投票権法という法律が制定されていき、分離政策が終わる。このときアメリカの大多数の人たちが見ていたのは約束の虹でした。これで人種の問題は解決していくだろう、と。ある種の楽観的な雰囲気がありました。ところがボールドウィンが見ていたのは虹ではなく、ノアの洪水であり、その次の火でした。とても厳しい滅びの預言ですが、実際にその後のアメリカは炎に包まれていくことになります。1968年にキング牧師が暗殺され、アメリカの人種をめぐる問題は解決するどころか、悪化していくわけです。都市部では暴動が起こって、街が火に包まれる。ボールドウィンの言葉が実現するんですね。
 阿波根さんの言葉、ボールドウィンの言葉。これらはいずれもカタストロフの只中から発せられた預言であり、聖書の言葉を今ここで引き取った預言でもありました。預言とは単純に未来を見通すことではなく、現在という時が過去のいくつもの十字架の上に立っているということを認識する力だと思います。イエスの十字架がずっと続いてきた。あるカタストロフがずっと続いてきた。そしてこれからも続いていくかもしれない。伊江島の歴史だけを見てみても、戦争が終わったと思ったら、今度は収容所での生活が待っていた。それが終わってようやく生活が戻ってくると思ったら、今度は土地を取り上げられた、次の戦争準備が始まった。アメリカの黒人の歴史を見てみても、奴隷制が終わったと思ったら、また違う形の隷属が待っていた。公民権運動があって、これで平等になれると思ったら、貧困の問題、ドラッグの問題と違う問題が浮上してきた。オバマ大統領が誕生して、これでキング牧師の夢が実現したかと思ったら、警官によって黒人が殺されていく。カタストロフが続いて行く。
 私はそういう今を生きています。その中で聖書を読むということは、決して余暇にやるようなことではないわけです。もし私たちが聖書を読むなら、そこに私たちの希望そのものがかかっているというような態度で、聖書を読まないといけないと思う。「もう、水は終わった。次は火だ!」。「すべて剣をとるものは剣にて亡ぶ(聖書) 基地をもつ国は基地で亡び 核をもつ国は核で亡ぶ(歴史)」。こういうように聖書の言葉を今ここで引き取っていきたいと思う。きっと無教会の皆さんも、そんな聖書の読み方の伝統に根ざしておられるのではないでしょうか。皆さんそれぞれが据えられたカタストロフの只中で、そういうふうに聖書を読んでおられるのではないかと想像しております。誤読を恐れずに、逸脱を恐れずに、聖書の言葉を今ここで、今ここのカタストロフにあって、引き取っていく者でありたいと思います。